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鶴瓶サンドの夏旅の動画見逃し配信!tverやYouTube以外で再放送など無料視聴

鶴瓶サンドの夏旅の動画見逃し配信!tverやYouTube以外で再放送など無料視聴

フジテレビで放送されているバラエティ番組「鶴瓶サンドの夏旅」2023を無料視聴する方法について紹介していきます。今日(当日)放送分や過去放送分の再放送の情報や、無料動画や見逃し配信はTVer(ティーバー)で配信されるのかなど、昨今はテレビをリアルタイムで視聴するよりもスマホやテレビ、パソコンで視聴したいですよね?

YouTube(ユーチューブ)やbilibili(ビリビリ)、Dailymotion(デイリーモーション)、9tsu、miomio、Pandora(パンドラ)以外の「鶴瓶サンドの夏旅」の動画配信についてなのですが、現時点では動画配信サービスU-NEXTで配信される可能性があります。

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「鶴瓶サンドの夏旅」2023.8.20放送分

タクト
鶴瓶サンドの夏旅【鶴瓶思い出の京都でラジオ番組に乱入!中条あやみ激推しグルメ】
笑福亭鶴瓶とサンドウィッチマンが夏の京都旅。京都大好き中条あやみがドハマりする隠れ家絶品ラーメンに舌鼓&思い出のラジオ局で生放送に乱入。奥様との青春時代の秘話も
笑福亭鶴瓶とサンドウィッチマンによる特別番組第5弾!今年は、鶴瓶がサンドウィッチマンを京都へご案内。鶴瓶が青春時代を過ごし、妻と出会った京都の思い出のスポットを巡る!SPゲストには、京都が大好きな女優・モデルの中条あやみが登場!笑いあり、思い出あり、生放送乱入あり!鶴瓶の青春時代が蘇る珍道中です。

「鶴瓶サンドの夏旅」の出演者

笑福亭鶴瓶 
サンドウィッチマン 
【ゲスト】
中条あやみ

スタッフ
【プロデューサー】
片山健太 
村井守 
【演出】
小林剛 
【チーフディレクター】
吉川亮太

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TVerでの動画見逃し配信は?

TVerは、在京民放キー局5社(日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ)と、在阪民放5社(MBS毎日放送、ABCテレビ、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪)、広告代理店4社(電通、博報堂DYMP、ADK、東急エージェンシー)が共同出資した株式会社TVer(旧・株式会社プレゼントキャスト)が運営するOTTサービス。

海賊版コンテンツ・不正コピーの防止・対抗を目的として2015年10月26日にサービスが開始された。スマートフォンやタブレット向けのTVer専用アプリやPC上のウェブブラウザを利用して、民放テレビ局が提供するテレビ番組や動画コンテンツを視聴することができる。

在京民放5社は、当サービスの開始以前から独自の見逃し配信サービスをそれぞれ運営しているが、「TVer」はこれらを一元的に集約させたポータルサービスとしての役割も担う。

インフラにブライトコーブの動画配信プラットフォームBrightcove Video Cloudと機械学習を使ったエンコード技術Context Aware Encodingを採用している。

鶴瓶サンドの夏旅はTVerで配信される?

配信は、放映から1週間程度の期間(次回放送がそれを超える場合は、遅くとも次回放送開始前まで)行われ、従来の放送と同じようにコマーシャルが挿入される形式となっている。テレビジョン放送とネット配信とで権利処理が大幅に異なるため、それらの関係で配信対象外となる放送回もあるほか、番組出演者が配信期間中に不祥事を起こした場合も即座に配信終了となるが、当該パートを削除された上で再開されることもある。また、一部の2時間以上に拡大された特別番組など、長時間番組は複数のパートやコーナー別に分けて配信されることもある。

サービス開始当初は、全国ネットでの放送番組(準キー局制作番組や系列BSデジタル局の番組を含む)を中心とした番組ラインナップであったが、2016年秋から2018年春までにかけて全ての準キー局系の見逃し配信サービスが参画し、番組の直接配信を開始したことにより、放送エリアが制限されているローカル番組の視聴も可能となった。これ以降、準キー局以外の系列局が制作したローカル番組も順次配信が行われている。

開始当初の配信番組はドラマ作品等が中心だったが、年を追うごとにバラエティ・アニメ・料理番組等ラインナップを増やし、2023年1月現在ではゴールデンタイム・プライムタイム等の番組を中心に約400番組以上がラインナップされている。また、ドラマ・アニメ作品等では本サービス開始前に放送された作品(概ね1950年代から2010年代までの物)や、オリジナル作品等が配信されることもある。ニュース・情報番組等については未だに、基本的に配信していないが、東日本大震災やSDGsなどのキャンペーン企画実施時に例外として配信する場合がある。ただし、全国ネットの番組であっても権利処理が難しいもの(映画番組等)や、製作側の事情から当サービスで配信が行われない番組もある。

配信番組は基本的に主音声(第1音声)のみが配信される。そのため、音声多重放送且つ副音声(第2音声以上)にて、2か国語放送や解説放送や副音声付放送等が行われた場合は副音声版を別途配信することもある。

「TVer」ではradiko(プレミアムを除く)とは異なり、配信番組の視聴にあたって国内でのエリア制限は施されていないことから、配信対象番組で放送枠の移動がある場合は、必ず放送時間のところに「一部地域をのぞく」の表記が入る。これは系列局が無い地域かクロスネット局で同時ネットの対象から外れた番組において遅れネットか非ネットの時があるため。一方、海外での利用はできず、この点は同様である。

2019年8月26日には、公共放送である日本放送協会(NHK)が制作する番組についても配信が開始された。広告放送が禁止されている同協会の性質上、NHKの番組をTVerで視聴する際にはコマーシャルは流されず、代わりに同局の番組宣伝などが流れる。なお、TVerでのNHKの番組視聴は受信契約の対象外であると同協会広報局が回答している。

2020年からは独立放送局も参入し、同年10月からはテレビ神奈川(tvk)、翌2021年4月からは群馬テレビ、同年7月からはテレビ埼玉(テレ玉)、2022年2月からは東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)、3月からは千葉テレビ放送(チバテレ)、4月からはワールド・ハイビジョン・チャンネル(BS12 トゥエルビ)制作番組の配信をそれぞれ開始した。

※鶴瓶サンドの夏旅はTVerでは配信されています。

TVerはこちらから

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鶴瓶サンドの夏旅の出演者情報

「笑福亭鶴瓶」について

「笑福亭鶴瓶」は、日本の落語家、タレント、司会者。本名は駿河 学。

大阪府中河内郡長吉村(現・大阪市平野区)出身で、兵庫県西宮市在住。所属事務所はデンナーシステムズで、長年所属していた松竹芸能にも籍を残している。血液型O型。

愛称は「鶴瓶さん」「べーさん」「べー師匠」「鶴瓶ちゃん」「まーちゃん」、「まなぶくん」など。落語家として上方落語協会相談役を務めている。

2021年現在、松鶴の五番弟子である。

生い立ち・学生時代
大阪府中河内郡長吉村長原(現・大阪市平野区長吉長原)出身。5人兄弟の末っ子(12歳上の兄と3人の姉がいる)で、4軒長屋の自宅に祖母を含めた8人暮らしだった。

1961年頃には、登校途中に近所の男性に競馬場に誘われて、学少年が適当に指名した馬券をその男性が購入した所、それが的中し万馬券に化ける。驚き感嘆した男性は、約40万円の払戻金を丸々、学少年に手渡した。夜中に家族が寝静まった頃を見計らい、貰ったお札を数えていた所、その現場を母親に発見され大事に発展した。夜中にもかかわらず、くだんの近所の男性をたたき起こし、事の顛末を聞き出したことにより、正式に駿河家のお金となった。後に、母親にお金の使途を執拗に問い質した所、実家の増築資金になっていたことが判明。この話をテレビ朝日の『徹子の部屋』に出演時に話題にし、さらに母親から叱られたと語っている。

中学生の頃、2代目桂伸治が演じる「堀の内」に魅せられ、学校の教室で手作りの高座を用意し我流の「堀の内」を演じる。

浪速高等学校に進学。高校ではボクシング部にも所属した(先輩からの打撃で目を痛め、退部)。ボクシング部を退部後の2年生の終わり頃に、落語研究会を他の2人の生徒と立ち上げ、浪花亭無学の高座名を名乗った。

1969年、頭のいい人間に対抗心を持っていたため、京都大学や、大阪大学の入試の合格発表に行き、落ちていそうな生徒の隣で「あった!」と合格したフリをして、胴上げされるという悪戯をする。この時、大阪大学でNHKの取材を受け、模様が夕方のニュース番組で流れたため、それを見ていた親戚から祝電が届くなど両親に恥をかかせてしまう。

高校時代にすでに落語家になることを志望していたが、父からは反対を受ける。「うちの家から変わった人を出したい」という思いから、3年生の時には父から将来を問われて思いつきで「渥美清への弟子入り」を口にし、実際に上京して会いに行ったこともある(渥美が不在で会えず、大学進学を選択)。「過去を一旦捨てたい」という理由で友人たちが受けない英知大学・京都外国語大学・京都産業大学・関西大学を受験、関大以外から合格通知を得た中で、京都産業大学に進学する。京都産業大学を選んだのは、入学金が他の大学より破格に安かったことと、推薦入試を受ける友人に付き添って行ったときに出会った女性(のちに妻となる玲子)と再会できるのではないかという理由だった。

大学では落語研究会に所属し、童亭 無学(どうてい むがく)を名乗る。入学後まもなく偶然玲子と再会し、共通の友人がいたことから落語研究会にマネージャーとして勧誘、玲子には「レモン亭円(まどか)」という高座名も与えられた。一時期はここでの芸名を本名であるスルガ・マナブやプロになってからtsurubeと名乗ったこともある。親は入学金は出したが、それ以外の費用は自活するよう言われ、入学直後から六角通の旅館「三木半」でアルバイトをする。この旅館であのねのねの清水国明(1期上)と知り合った。同じくあのねのねの原田伸郎(同期)とは落語研究会に入った日に出会った。大学でも高校時代のようにクラスで皆を笑わせたいという欲求があったが、大教室は広すぎる上に出入りも自由で期待した効果がないため、最初の小教室の授業で、カセットテープに録音した出囃子を教授が教室に入る際に鳴らして笑いを取った。

清水国明、原田伸郎、玲子とともに、あのねのねのメンバーとなった(玲子はボーカル、鶴瓶は踊るのみ)。この時玲子は『ひょっこりひょうたん島』のテーマを歌っている。清水とは下宿で共同生活を送った時期もあった。やがて、あのねのねがスターになり、鶴瓶の結婚式に二人が札束を持ってきたエピソードもよく語られる。鶴瓶の結婚式・披露宴の代金をあのねのねが全て負担した(それでも余った)。

いずれ大学をやめて落語家になると公言していた駿河は、あるとき落語研究会の先輩2人から「いつになったら落語家になるんや」とからかわれたのに激怒し、2人を便所に連れ込んで「俺がどないしようと俺の勝手やないか!おまえらにガタガタいわれる筋合いはないわい!おまえらにいわれんでも、やめる時が来たらやめるんじゃ!」と殴打した。まもなく、駿河は大学を中退した。

入門・弟子入り
大学時代の駿河は当初3代目笑福亭仁鶴への弟子入りを考えていたが、観覧した落語会での6代目笑福亭松鶴の口演、とりわけ、客先にいた僧侶を見てネタを忘れたという理由でオチだけを話して高座を降りたことに「おもろい」と強い印象を受け、松鶴への弟子入りを決める。1971年1月の「京都市民寄席」の楽屋口で弟子入りを試みたが、「知らん人が見たらヤクザ」のような松鶴と弟子の姿におののいて声をかけられず、1年後に自宅を訪れることになった。

この訪問では居留守を使われ、粘って根負けして会った松鶴からは、入門は親の承諾が条件で、連れてくるように言われる。駿河は一計を案じて、「喧嘩で相手を負傷させ、謝らなくてはならない」という理由で父親を同行させ、松鶴から正式な入門の許しを得た。

1972年2月14日、11番弟子として入門する。入門から間もない頃、まだ高座名も与えられない時に島之内寄席で来場者の下足番を任された際に、名前も社名も言わずに入場しようとした新聞記者に対し、それまでの横柄な態度を腹に据えかねて「顔パス」を咎めたところ、下足札を投げつけられて「お前誰や!」と問われる。松鶴の弟子と答えると、松鶴のいる楽屋に連れて行かれた。鶴瓶は松鶴から問われてこの経緯を話した。すると松鶴は、鶴瓶を「向こう行け」と遠ざけてから、将来取材する対象になるかもしれない相手ではないかと記者を罵倒した。この件で鶴瓶は、「このおやっさんに付いていこ」と心服する。

「鶴瓶」という高座名が付くまでの経緯については、鶴瓶自身は時期によって異なる説明をしている。1982年の著書では、

入門からしばらくは高座名がなく、問われたときはやむなく「笑福亭駿河」と名乗ったりしていた。まもなく松鶴から「どっかひとつ抜けたとこあるしな……そうや、昔井戸で"つるべ"て使うてたやろ。なんやお前は、井戸のつるべのタガが抜けたみたいなとこあるし」という理由で「鶴瓶」の名を与えられた。
としていた。これに対して2013年の聞き書きでは

入門翌月にラジオ大阪やABCラジオの番組に出演したときにはすでに「鶴瓶」の名前で出演していた。松鶴からは「鶴之(つるゆき)」と「鶴瓶」の二つの名前から選ぶよう言われ、「鶴瓶」を選んだ(兄弟子の笑福亭鶴光も弟子入り時に「鶴之」と「鶴光」を示されており、そのことを鶴光から教えられた)。すると松鶴は『落語系図』で先代鶴瓶(本記事冒頭節を参照)について見るよう指示し、それを見て「おもろい名前つけてもろたなあと不思議な気持ち」になった。
としている。

同年9月26日に島之内寄席にて初舞台。初舞台の演目について、新野新の著書(1975年)では「東の旅 発端」としているが、鶴瓶自身は2013年の聞き書きで(同じ「東の旅」の一編である)「煮売屋」であったと述べ、人体の「逆さ言葉」を言う下りの「耳」のところで「ミンミン餃子、おいしいな」というくすぐりを入れて受けを取ったが松鶴から「よけいなこと入れやがって!」と叱られたとしている。

松鶴からはほとんど落語の稽古を付けられることはなかった。兄弟子である笑福亭松枝のエッセイのほか、鶴瓶自身の回想によれば、鶴瓶は「ある意味えらい怒られて稽古をつけてもらえなかった」存在であり、松鶴が機嫌のよいときに兄弟子の笑福亭松葉に「稽古を頼めよ!」とけしかけられて稽古を頼み込むと、鶴瓶の目の前に顔を突き出した挙句、「嫌や!」と突き放されたこともあった。ついには、「鶴瓶が聞いとるさかい風呂行って稽古しょう!」と他の弟子を引き連れて逃げ回られる事態に発展した。松鶴の盟友であった5代目桂文枝はこのことについて「稽古の必要はないと思ってるからや」と分析しており、また鶴瓶が松葉など年の近い兄弟子に可愛がられるための、松鶴による気配りであることを示唆している。また、鶴瓶と5代目文枝ともども、松鶴自身が5代目松鶴からあまりネタを教えてもらうことがなかったことが、稽古をつけなかったことの伏線とみなしている。鶴瓶自身は、松鶴が形にはめるよりも「あんまりいじくりまわさんほうがええ」と考えていたのではないかと述べている。松鶴の不在時に、松鶴の妻(「あーちゃん」と呼ばれていた)から三味線や落語の稽古を付けられることもあった。

ある落語コンクールでは、前記の『堀の内』に古典落語なのにオートバイに乗った人物を登場させるなど、「男子校向け」のアレンジを適当に加えて演じた。審査員からは「時代錯誤も甚だしい」と酷評され、やはり審査員である松鶴からは「こんなん、落語やおまへん。こいつには稽古つけてまへん」とまで言われる。だが、松鶴は帰り道に鶴瓶の尻を叩いて「おまえのが一番おもろかった」と告げた。

そのほかにも、高座にラジカセを持ち込み、笑いが欲しいシーンでスイッチを入れて笑い声を出し、客の笑いをあおるなど、当時としては斬新なアイデアを披露したりしたが、これも松鶴に楽屋で叱られてしまった。ただしその松鶴も、若手時代には高座でバレリーナに扮して先代から怒られている。3代目桂米朝によれば、3代目桂米之助作の新作落語「白鳥の死」の口演のためだという。

入門当時には、小学6年生で12歳の兄弟子・笑福亭手遊(おもちゃ、入門は1971年10月)がおり、入門順が序列となる落語界のしきたりに従い、彼を「兄さん」と呼び、手遊からも「兄弟子」として振る舞われることがあった。ただし、小学生の手遊を大人の鶴瓶が「兄さん」と呼んで話す様が面白がられて二人でラジオ番組に何度も出演し、結果として番組に出る機会が増え、「鶴瓶いうやつ、おもろいねんな」と思われるようになったと、2013年の聞き書きでは述べている。一方、手遊の上の兄弟子である笑福亭松葉(没後に7代目笑福亭松鶴を追贈される)には面倒を見てもらい、仲のよい兄弟弟子となる。のちに松竹芸能の社長から7代目松鶴は誰がいいかと問われたときに、鶴瓶は「松葉と答えた」という。

若手時代、鶴瓶はアフロヘアーにオーバーオールという落語家らしくないスタイルを続けていた。3代目桂春団治や師匠の松鶴からは髪を切れと何度も言われたが(春団治は「金をやるから切ってくれ」とも言い、実際に金銭を渡した)、鶴瓶は従うことはなく、また松鶴や春団治もそれを楽しんでいる風があって、松鶴は途中から何も言わなくなったという。鶴瓶は、吉本興業所属の桂三枝や笑福亭仁鶴と比べ、自身の所属する松竹芸能の落語家が年齢が高いというイメージがあり、落語家の「古臭い感じ」に対する反発からそうしたファッションをしていた。

1970年代前半は、ユリ・ゲラーをはじめとする超能力・エスパーブームの時期だった。活動の場が早く欲しかった鶴瓶は、超能力(透視とスプーン曲げ)が使えることを松鶴に打ち明け、鶴瓶の超能力を目の当たりにした松鶴は驚愕し「ウチに超能力を使う弟子がおる」と松鶴自らがテレビ局に鶴瓶を売り込む。当然ながら超能力はテーブルマジックの類で、周囲に仕掛けを漏らしつつ頭から超能力を持つ弟子と信じ切っている松鶴という場面に持ち込み、必死になって売り込む松鶴に便乗して業界関係者に顔と名前を覚えてもらい、これを手がかりにテレビ、ラジオと進出する足場を作る。後に兄弟子の笑福亭仁鶴が鶴瓶のイカサマ超能力を暴き、松鶴は梯子を外された格好になった。また、このスプーン曲げは上岡龍太郎の不興を買った。鶴瓶は正直に事情を話し、上岡も笑って誤解を解いた。鶴瓶と上岡はこれが縁で互いの楽屋を訪れるようになり、その鶴瓶の楽屋話が面白いということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった。

1974年10月12日に結婚。結婚式は大阪市中央区の「高津神社」で執り行われた。鶴瓶と玲子は交際を始めた年に「10年後の1980年12月23日に結婚する」と約束していたが、玲子が妊娠したことから6年早い結婚となった。玲子の親の承諾を得ないままでの結婚だったため、玲子側の参加者がいない異例の式だった。仲人は師匠の松鶴が務めたが、弟子13人の中で鶴瓶が一番「アホ」というスピーチをした。

タレント活動
入門4日目で、兄弟子の笑福亭呂鶴の代役を求める近畿放送ラジオ(現・京都放送)から松鶴への電話に留守番で出たことで、「誰でもいいなら」と応じて出演した。

初のレギュラー番組は近畿放送の『丸物ワイワイカーニバル』で、以降、近畿・中京地区でラジオ・テレビを中心に活動。1970年代半ばには東京のテレビ局の制作番組にも出演したが、自身に対するスタッフの扱いに反発して局部露出事件(詳細は後述)を起こしたこともあり、その後約10年は東京での活動をおこなわなかった。

1978年に始まった『ぬかるみの世界』で人気が上昇し、1982年から4年間続いた毎日放送の『突然ガバチョ!』の司会で再び脚光を浴びる。この番組は関西以外の地方でもネットされた。1982年、テレビ大阪の開局記念番組で取材を受けた際「アフロヘアーをトレードマークにしている」という声を耳にして、「けったくそ悪い」という思いを抱き、取材を受けている最中に髪を切り落とした。

鶴瓶は1982年の著書『哀しき紙芝居』で東京への(再)進出を「是非とも挑戦したいもの」と記し、同時に「そこをできるだけ自然に通り過ぎたい」と、自分のスタイルを変えずに行くことを望んでいた。満を持して1986年に、ビートたけしが出演する『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『オレたちひょうきん族』の裏枠のMCとして起用されるも、いずれも短期間で打ち切られ、「東京進出失敗」と週刊誌に書かれる。この状況で、鶴瓶に着目していたフジテレビプロデューサーの横澤彪が抜擢する形で、1987年から『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーとなった。『笑っていいとも!』および1988年から全国ネットとなった『鶴瓶上岡パペポTV』により、広く受け入れられるようになる。

1990年代以降は、本業の落語家やテレビタレントのみならず俳優や司会者としても活躍するようになり、顕著な活躍を見せている。その傍ら、関西圏のラジオ局では現時点でもまだレギュラー番組を持ったことがないラジオ関西を除き、必ずレギュラー番組を1番組は持っている。

2001年にコカ・コーラとのタイアップで、日本テレビと吉本興業が組んで制作されたドラマ『明日があるさ』にも、鶴瓶が松竹芸能からただ一人ゲスト出演した。

落語への回帰
道頓堀角座が健在のころは「『大安売り』と『いらちの愛宕詣り』ばっかりやってました」。しかし、当時の角座の昼席は落語にさして興味のない団体客を入れていたため、「落語を聞きに来るお客」がメインであった夜席を好んでいた。

1986年の6代目松鶴の死後、笑福亭梅香を襲名させる計画があった。初代桂文枝(正確には桂梅香)、2代目曽呂利新左衛門の前座名という由緒名であるが、一門での慣例から「梅香」の読みは「ばいか」「ばいこ」「うめこ」のいずれではないかと(本人は)推察。遺書に読み仮名が無かったため正確な読みは不明のままに加え、名前が自分に似合っていないということから辞退している。

2002年9月、江戸落語の春風亭小朝との二人会で『子別れ(子は鎹)』(落語を本格的に始めるにあたって4代目桂文紅にじきじき『子別れ』を稽古を付けてもらった)を演じたことを機に、落語への回帰を強めている。2003年3月、小朝、林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)らと落語家会「六人の会」を結成。また同年5月に上方落語協会理事に就任している。その後広報委員長を経て、2008年6月に副会長に就任した(2018年に退任、相談役に)。

多忙なタレント活動の合間を縫って「鶴瓶噺」「笑福亭鶴瓶落語会」などの独演会を展開する一方、六人の会が主催する「東西落語研鑚会」にも参加。大阪・帝塚山の6代目松鶴旧宅で行われる演芸イベント「帝塚山・無学の会」を主宰するなど、精力的に落語に取り組んでいる。古典落語にも「東西落語研鑚会」で『鴻池の犬』『らくだ』などに挑戦している。特に2004年の東西落語研鑚会で口演した『らくだ』は松鶴の十八番(おはこ)であり、松鶴門下では直々に稽古を付けられていた6代目笑福亭松喬しか、舞台での披露を許されていなかった題目である。『らくだ』には2003年頃から取り組み始め、そのために円形脱毛症を発している。

鶴瓶の落語への取り組みは、弟子に対する影響が少なくない。総領弟子の笑瓶を筆頭に、殆どの弟子が落語をしていない「テレビタレント」としての鶴瓶に弟子入りをしており、落語家に弟子入りしたという感覚が無い為である。鶴瓶が落語を始めた為、弟子も落語に取り組まざる得なくなり、笑瓶は新作や古典の改作に取り組み、純瓶は怪談噺に力を入れ、銀瓶は韓国語落語を打ち立てている。2007年3月には、銀瓶以降の6人の弟子が「シックスセンス☆六瓶の会」と題した落語会を大阪で開いている。

2004年から年に1回、桂南光と桂文珍との落語会「夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板」を開催。落語会としては異例の6,000円を超える料金も話題となる。チケットは、過去3回共完売。その他この3人は、2005年から「文珍南光鶴瓶+1 しごきの会」と題して、年に数回、baseよしもと(現在は天満天神繁昌亭)で若手落語家育成の為の会を開いている。

ヘヴィメタル雑誌『BURRN!』(シンコーミュージック・エンタテイメント)編集長であり多くの落語関連著書を執筆している広瀬和生は落語家としての鶴瓶について「落語演らない落語家」「鶴瓶噺なるジャンルを確立させた」と評している。

家族・親族
妻、長男、長女がいる。妻の玲子は先述の通り、あのねのねの元メンバーである。ある時期より鶴瓶の番組の企画書作りなどを手伝うようになり、『鶴瓶上岡パペポTV』の企画書は彼女がまとめたとされる。長男は俳優兼音楽ユニット「Human Note」のボーカル・駿河太郎。2008年7月26日、浜松近郊の病院で孫(長男の第一子)が生まれたことを『FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』で発表した。ちょうどこの時は鶴瓶と従兄弟弟子の明石家さんま・大竹しのぶ元夫妻との生のトークコーナーが放送されており、「早う、孫に会いに行きたいわ」とボヤいていた。2021年8月時点では計4人の孫がいる。

鶴瓶の実父は絵を趣味としながら梱包材を扱う店を営んでいた。死去した際、師匠の松鶴は「普通は弟子のお父さんの葬式なんかに行かない」ところを葬儀に出席したが泥酔の挙句大暴れし、鶴瓶の実姉に「松鶴かなんか知らんけど、人の親が死んでンねがな」と説教され、「あー、恐……」と言って鶴瓶になきついていたというエピソードがある。

笑福亭鶴瓶出演番組動画一覧はこちらから

「サンドウィッチマン」について

「サンドウィッチマン」は、グレープカンパニーに所属する伊達みきおと富澤たけしからなる日本のお笑いコンビ、司会者。1998年9月コンビ結成。愛称及び略称は「サンド」。

M-1グランプリ2007王者、キングオブコント2009準優勝。みやぎ絆大使、東北楽天ゴールデンイーグルス応援大使、ベガルタ仙台市民後援会名誉会員、喜久福親善大使、宮城ラグビー親善大使、松島町観光親善大使、伊達美味PR大使、伊達なふるさと大使。

2人は仙台商業高等学校(現・仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、同校のラグビー部で知り合う。

高校卒業後、伊達は福祉系の専門学校へ進学するも3か月で中退。父親の斡旋で福祉関連の会社に就職し、会社員として働くつもりだった。一方で芸人を志していた富澤は、就職して正社員になると芸人を目指しにくくなるという理由でアルバイトを続けていた。1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に定めた富澤は伊達を誘うも断られ、小・中学時代からの別の友人とコンビ『ゆやゆよん』を結成。アマチュア活動をしていたものの、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった。

当初から伊達とのコンビ結成を熱望していた富澤は、すでに福祉関係の仕事に就いていた伊達を3年間に渡って口説き続けた。最終的に伊達は祖父の死をきっかけに「限りある人生、どうせなら好きな事をやらないと」と悟り、会社を辞める決意をした。1998年9月、コンビ結成。同年に上京してコンビ名を『親不孝』とする。この時は先に上京していた芸人仲間と同じホリプロ預かり(後所属)となるが、後にフリーへ転身すると共にコンビ名を『銭と拳(かねとこぶし)』へ改名。同時期に一度だけ『バイキング』というコンビ名で舞台に出たが、その際に他の芸人から同じコンビ名の芸人がいると言われたため元に戻した。

その後、24歳の時にホリプロでの同期だった浜田ツトムを入れてトリオ『サンドウィッチマン』を結成する。このときは浜田がツッコミで、2人ともボケだった。僅か1年で浜田は脱退するが、元のコンビ名には戻さず現在に至る。このように、ホリプロやH・R事務局に所属していたもののお笑いに理解のないマネージャーなどからネタの中身について注意されることを嫌い、自由にネタをできる事務所を探した結果フラットファイヴへ所属する。

ライブには出演していたが、キー局でのテレビ出演がないまま年月は流れる。当時の富澤は自ら伊達をお笑いの世界に誘いながら一向に結果が出ないことに負い目を感じ、コンビ解散や自殺まで考えていた。気が付けば30歳になっていた2人は2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らして片っ端からライブに出演していく。そんな中でついにその実力がテレビ関係者の目に留まり、『エンタの神様』(日本テレビ)への出演が決定する。

2005年5月28日、『エンタの神様』に初登場。披露したネタは「ピザのデリバリー」だった。収録の際、あまりにもウケすぎたため観客の笑い声が2人のピンマイクにも入ってしまい、撮り直すべく同じネタをもう一度披露するという前代未聞の出来事が起きた。以降は知名度が上がり、同番組には定期的に出演するようになる。

2006年5月13日・2007年9月24日に新宿シアターモリエール、2006年7月22日は仙台141にて単独ライブを開催。満員御礼となった。また、10月27日には2人の母校である仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」へ出演した。交通費代込みで10万円という破格の出演料だった。

2007年12月23日、M-1グランプリ2007において大会史上初であった敗者復活枠からの優勝を成し遂げる(後にトレンディエンジェルも達成)。

2008年1月26日、イトーヨーカドー仙台泉店で、『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)』(FMいずみ)の公開収録を行った(観衆は2000人)。村井嘉浩宮城県知事から「みやぎ夢大使」を委嘱され、泉区長からは区長賞を授与された。

2009年5月11日、伊達がフリーアナウンサーの熊谷麻衣子との結婚を自身のブログで公表、7月11日に挙式・入籍した。また同年6月8日、富澤が年下の一般人女性と2009年4月2日をもって入籍していたのを所属事務所を通じて公表した。

キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し、初出場にして決勝進出。1stラウンドは2位以下に大差をつけて首位で折り返すものの、結果は東京03に逆転されて準優勝となった。翌年以降は出場していない。M-1優勝後にキングオブコントへ出場し、決勝進出を果たした最初のコンビ(またはグループ)となっている。それ以降2021年までの12年間はサンドウィッチマンのみであった(2021年はマヂカルラブリーが同様にM-1優勝後にて決勝進出した)。

2009年、夏から秋にかけて初の全国ツアーを開催。以後も毎年開催され、コンビの活動の柱となっている。

2010年7月1日、約5年間所属したフラットファイヴを退社。担当マネージャーと共に現事務所・グレープカンパニーを立ち上げた。同時にフラットファイヴの所属だったほとんどの芸人たちもグレープカンパニーへ移籍した。これはフラットファイヴの社長兼夫婦芸人であるホロッコが、サンドウィッチマンのM-1優勝に触発されて漫才業を再開したことを理由とする円満移籍である。

2011年3月11日、宮城県気仙沼市の漁港にて、『サンドのぼんやり〜ぬTV』(TBCテレビ)のロケの最中に東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生し被災したが、すぐにスタッフ・出演者が全員無事であることをブログで報告。

2012年から、中川家・ナイツと共に3組で「漫才サミット」と称する合同ライブを定期的に開催、各コンビが持ち回りで主催する形で全国を巡っている。

2016年、欅坂46の冠番組である『KEYABINGO!』(日本テレビ)のMCに就任。

2017年は全国ツアーの一環として、自身初の海外公演となる結成20周年目記念ロンドン特別公演を開催。チケットが即日完売となる。

2018年、日経エンタテインメント!発表の「好きな芸人ランキング」で調査開始以来14回連続でトップに君臨していた明石家さんまを抜き、1位に躍り出た。

2019年、日本とスペインを拠点に活動するピアニスト・川上ミネとのコラボレーションで初のスペイン公演を行った。

「サンドウィッチマン」のネタ

漫才・コント両方を演じる。奇抜な設定やキャラクターに頼らず、「店員と客」などベタな設定の下で交わされる会話のやりとりで笑わせるネタが多い。会話重視のネタの性質から、コントを漫才(コント漫才)に作り替えて披露することもある。「コント師」や「漫才師」ではなく「漫コン師」と自称することもある(ただし響きが卑猥に聞こえることからNHKに出演する際には「コン漫師」としている)。コントではボケとツッコミをハッキリと分けることが多く、ボケは異常人でツッコミは常識人に徹する。それにも拘わらずツッコミもボケに劣らず笑いを誘発できるのが特徴。ただし2人の担当は毎回入れ替わる(伊達がボケの時は異様な扮装となることが多い)。極稀に2人とも常識人ベースだが、状況に翻弄されるがまま変になっていくというネタもある。基本的には2人のみで進められるも、一部ネタではエキストラを起用する場合がある。

2009年以降、毎年夏から秋にかけて新ネタのみを引っ提げ全国各地を巡る単独ライブツアーを実施している。計1万人以上を動員する大規模なツアーにも拘わらず、ほぼ全ての会場のチケットが数分で完売するほどプレミア化しており、翌年の春には前年のライブの模様を収録したDVDが発売されている。立川志の輔や関根勤を始め、多くの著名人が毎年ライブツアーを観覧している。ライブ構成には水野としあき(同事務所所属の後輩である放送作家)も参加してきた。

ネタ作り担当は富澤で、携帯電話に書き込んで作成している。一部のツッコミを伊達が付け加えることもあるが、台本に起こし最終的な構成をかけるのは富澤の役目。また「伊達がツッコミのフレーズを先に考え、富澤がそこから逆算してボケを付ける」ケースもある(アンタッチャブルと同様)。

富澤はパソコンで清書した台本を用いたいが、伊達の「富澤の女の子みたいな丸文字で書いた文字じゃないと頭に入らない」という理由から、長らく台本は手書きだった。後に富澤が伊達にメールでネタを送信し、機械音痴の伊達がマネージャーに頼んでプリントアウトしてもらうようになった。

初めてネタを披露したテレビ番組は、2005年のBSフジ『東京金歯(笑)』。

漫才の際の出囃子は、Mess→Age Crew(feat.CUZSICK)の「青葉城恋唄21」で、主に単独ライブツアーにおいて使用している。

漫才でネタに入る時には「(伊達)世の中興奮することっていっぱいあるけど、やっぱり一番興奮するのは◯◯する時だよね」「(富澤)間違いないね!」という掛け合いがお約束となっている。コントを4分しかないM-1グランプリ仕様の漫才に作り変える際に、コントインのお約束のやりとりがもったいないと考えてこの掛け合いを導入した。終わる時は伊達が「もういいぜ!」と言って締める。ちなみにその締め言葉は、伊達のブログのタイトルにもなっている。また、「ちょっと何言ってるか分かんない」「なんで何言ってるか分かんねぇんだよ」などサンドの代名詞とも言える定番の掛け合いがあり、多くのネタに盛り込まれている。

漫才のつかみ、またトーク番組等で何かやって欲しいと振られた時は30秒以下のショートコントをすることがある。トーク番組やワイドショー、営業先などでショートコントをやる際にはオチの後に「はい、◯◯!」と番組名や地名などを叫ぶ。

ネタ以外ではボケ・ツッコミの役割分担をあまり気にしない。過去には伊達がボケ、富澤がツッコミを担当した時期もあり普段から伊達がボケたがるため、ラジオやフリートークでは富澤が伊達に対して自然にツッコむ様子も頻繁に見られる。

単独ライブでは伊達がボケるネタも存在する(通称「男シリーズ」)。これらのネタは伊達が作っており、伊達曰く「台本はなくアドリブでやっている」とのことである。

伊達は哀川翔のものまねをすることがある。単独ライブではこのキャラクターは“哀川チョウ”(チョウの漢字は毎回異なる)の名で、コントとして披露されている。ただ後半になるとほぼ地声に近づき、ものまねの精度が落ちてゆく。『サンドウィッチマンライブ2010 新宿与太郎音頭』の映像特典には哀川本人との対談が収録され、このものまねは「本人公認」となっている。伊達の他のものまねレパートリーには竹内力、野村克也、マツコ・デラックス、中尾彬、梅沢富美男、安倍晋三、阿部寛、郷里大輔などがある。

『ボキャブラ天国』(フジテレビ)の復活特番へ出演し、満点の30点を獲得した。

サンドがデビューしてから現在まで全てのライブに来ている熱狂的ファンの「小島さん」は、ファンの中でも名物的存在となっている。単独ライブツアーでは漫才の冒頭で、東京での初舞台から応援してくれているファンの「小島さん」をイジるのが恒例で時には「小島さん」がマイクを持った状態で座っていたり、「小島さん」にスポットライトが当たることもある。しかしイジる時間が長いために公演時間も長くなりがちで、関係者から怒られるケースがある。

最も影響を受けた芸人はバカルディ(現さまぁ〜ず)であり、コントライブのビデオやDVDを観て勉強していた。また、東京ダイナマイトにも影響を受けている。

『笑点』(日本テレビ)の演芸コーナーにも度々出演している。三遊亭圓楽とは定期的に各地で「円楽 サンドウィッチマンの会」を開催し、立川志の輔とも落語会などで多く共演、さらに毎年新春!お笑い名人寄席に出演するなど落語家と同じ舞台に立つことも多い。

伊達がツッコミのコントでは、ネタの入りで富澤にヤクザと間違えられ「お前見た目で判断するなよ!」などとツッコむのがお約束。また、伊達の職業は見かけによらず堅気だが「遊園地のクレープ屋」「バッティングセンターの店員」「ヨガの先生」「女子プロレスのレフェリー」「図書館の司書」「粉チーズ工場の工員」「パン工場のあんパンにゴマをのせる工員」など、どこか奇妙な設定が多い。

ネタに出てくる企業名・店名・施設名等は、「ピザハットリ(ピザハット)」「ピザーワ(ピザーラ)」「もずくヘア(モッズヘア)」「スタジオアリノス(スタジオアリス)」「オールドジム(ゴールドジム)」「アービバビバ(アビバ)」「DEFマート(ABCマート)」「酒松屋(西松屋)」「紳士服のモナカ(コナカ)「カラオケ舘(カラオケ館)」「ダンディマウス(ダンディハウス)」「三本生命(日本生命)」「おじさんマークの引っ越しセンター(アリさんマークの引越社)」「アウト引越しセンター(アート引越しセンター)」「トミザワタケシ(マツモトキヨシ)」「西京東川(東京西川)」「ゼブラビール(キリンビール)」「個別教室のドライ(個別教室のトライ)」「MTT bocomo(NTT docomo)」「みどりな窓口(みどりの窓口)」「毎朝新聞(毎日新聞)」「読読新聞(読売新聞)」「前楽園ゆうえんち(後楽園ゆうえんち)」「下野動物園(上野動物園)」などパロディが多い。

2人とも美声を、主にボケに回った時には効果的に用いる。伊達はやや凄みを効かせた低音、富澤は滑らかなハイバリトン。

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